2010年10月7日(木)は記念すべき日になった。
老人デビュー記念日。
巣鴨の駅で山手線から高島平に向かう都営三田線に乗り換えて、吊り環を握って頭上の広告を見上げた途端、まだ電車が動かないうちに後ろから肩をつつく奴がいる。
携帯を手にしたジーパンの青年がわざわざ席を立って座れと言ってくれている。私より頭ひとつ、背が高い。
自慢じゃないがこの年になるまで、乗り物で席を譲られたことは一度もない。もたもたしていると青年の隣にひとつだけ空いていた隙間に先に座ったつれあいが、折角の御好意でしょと袖を引っ張る。
そうか、譲られた方が妙に遠慮したりすれば、この好青年の、文字通り“立場”が無くなるわけだ。この初体験の感銘を反芻するのはあとにして、とりあえず、つつましく座らせて貰った。
目的地の西台まで20分ほど、剃り残したあごひげを撫でながら、そんなに俺は爺さんに見えるようになったのかと、微かに不満に思い、また一方で、検査の為に空腹で来いと言われたからメシ抜きで遥々鎌倉からやって来た担癌者ではあるが、未だそれ程消耗して見える筈はないと独り力んだりして、でもまあ青年の親切は嬉しく、まったりと座っていた。
何はさておき他人から席を譲られるという、生涯で初めての体験をした記念日として、この日をしっかり覚えておこうと思った。
西台で電車を降りる時、まだ立っていた青年に礼を言い、
「生まれて初めて席を譲って貰った、嬉しいような寂しいような、とても複雑な気分だよ」
と感慨を述べたら青年は笑った。白い歯が綺麗だった。
老い先の安寧を願って巣鴨のトゲ抜き地蔵の参詣に来た老人がこの奇瑞に遭遇したといえば、これは出来過ぎだろうが、こっちの用事は寺詣りなどではなくて、先月発覚した自分の直腸癌の、周囲への進展状況と遠隔転移の有無をPET/CTで調べて貰うための専門クリニック受診という辛気臭いものだったから、幸先良く気分を転換してくれた青年に、年寄り扱いしやがって、と怒る気持ちは、当然のことながら、毛頭無い。
シニア入り記念日などと浮かれては見たが、実は今日と言う日はちょっとだけ特別な日なので、そんな日に初めて席を譲られるのは、縁起が良いのか悪いのか。
しかし、この瑞祥をこれから先、何度も経験出来るほど自分の余命は十分には無いのかもしれないと思い至ったら、あの背高童子がよけいに有難くなった。
「記念日」から数日後発売になった週刊誌に、「医者ががんになったら」という特集が載った。「余命、治療法、病院選び、臨終・・一番知りたかった本音の闘病記・・五人の医師はそのときこう考えた」と。
早速買って読む。
皆さんそれぞれ深淵に直面しての生き方を吐露しておられてとても参考になったが、私が最も共感を持ったのは五人が五人とも、自分の発癌を知った時に「初めて残された時間に限りがある」ことを意識したという述懐である。
記事を書いた週刊誌記者は、日頃ヒトの生老病死に向き合う医師が、自分が発癌するまで「時間の有限性」に気付かないというのに「正直、驚いた」と結んでいるが、これは別に驚くことではなく、当たり前のことではないか。
誰しも持ち時間には限りがあることは知っている。ただそれがどんなに短いかを認めたくないだけである。医者とて同じだ。自分の死と人の死一般は全く別の事象である。癌という病気はそれを気付かせてくれる。
私は自分の冠状動脈硬化が知らないうちに進んでいて、右が99%、左の前下行枝も99%、回旋枝が77%の閉塞だと聞かされた時、心筋梗塞死と紙一重で暮らしていたことに驚きはしたが、起こり得る最期までの時間の短いであろうことを嘆く気にはならなかった。
それ後冠状動脈にステント6本を入れて助けて貰えたばかりか、毎日抗凝固剤を?まねばならなくなって、それが直腸からの微出血を誘い、それがまた4年前の癌の再発に気付かせてくれたのだから、禍福は糾える縄の如しを地で行っている様で、むしろ幸運に恵まれたと思っている。
「医者ががんになったら」に登場した医師は、皆さん病院勤務医である。私は残された時間の余りに短いことを痛感された五人の医師の気持に共感しながらも、一方でその置かれた境遇に羨望を感じざるを得なかった。
医師という属性は同じでも、小企業の経営者としての開業医ががんになるのと、交代の職能者の得られる可能性のある病院勤務医のがんでは、当面する課題はかなり違う。
後継者の居ない小規模医院々長の長期の療養は、結果として閉院しか途はないから、仮に治療が奏功して癌から生還したとしても、その時には復帰可能な仕事の場は既に失われている。
避けられない最期まで、いくばくかの時間があるとしてその時間をどういう風に過ごすか、あるいは使うかという人生論風の課題追求に没頭出来れば幸せだけれど、その前に仕事場の始末、店仕舞いの作業がある筈である。
患者、従業員、家族になるべく迷惑をかけないでスマートに店仕舞いをしたいものだが、はてどうなるだろう。
「記念日」の丁度一週間後に送られてきたPET/CTの結果は、情けないことに直に開封する勇気が無くて、半日あちこち持ち歩いたあと、エエイとばかりひと息に開いたら、局所の大侵潤も遠隔転移も無さそうだとある。
しめた、これならば受診予定の癌研病院で、括約筋機能温存手術を希望しても横車ではないだろうと、少し気が楽になった。 やっぱり背高童子は強運を呉れたらしい。(迪: 2010-10-15)■
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