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(かまくら便り「耄碌以前」)
(旧)

 
退院いたしました
2015.3.1
 いつもありがとうございます。

 幸運と皆様のご支援のおかげで、驚異の回復をみせまして、院長はまた鎌倉へ帰ってまいりました。感謝しております。リハビリがんばります。また「ぼやき」が再開されることでしょう。 (管理人)

 
ありがとうございます
2015.1.20
 院長へのエール、ありがとうございます。院長がんばっております。笑顔でお会いできますそのときまで、しばしのご猶予を・・・。 (管理人)

 
龍は西へ行く
2015.1.6
空うめる布団のごとき厚き雲
突然ひかりが差し込んで
見上げる空には龍神が
西へ西へとそのからだ
空いっぱいに伸ばしてた

うろこ模様の胴体に
手足をおよがせ頭をもたげ、
ひげをなびかせ尾をひいて
まさしく
仏画の龍雲図

風に吹かれてかたちを変えて
龍神様は
悠然と
西へ西へと去っていく

空からぱらぱら降り注ぐ
あられがぱらぱら降り注ぐ
板間にころがり跳ね回り
しきりに降る降る雪あられ
龍は西へと去っていく

お正月のことです。
雲間に陽光が差して浮かびあがるウロコ雲、巨大な龍のすがたに見ほれていると、あられも降ってきました。これはめったにない吉祥風景、と感動して、さっそく院長へ書いて贈りましたら、「ぼやき」に乗せておけとの仰せでしたので掲載します。 (管理人)

後日談です。

この巨大な龍神さまを見た翌日に、院長が倒れました。脳梗塞でした。当初は最悪の事態を覚悟していましたが、命に別状がなかったばかりか、言語障害や右片麻痺の後遺症も、1年半後には、日常生活にほとんど支障がないほどにまで回復しました。

 
落穂拾い
2014.12.30
 漱石の『道草』は、主人公の健三が、自分の幼時の養育料返済を迫る養父に百円渡して、向後一切の関係を断つという証文を、漸く取り上げたことを喜ぶ細君との問答があって終わる。

 「まあ好かった。あの人だけは是で片が付いて」 
 「片付いたのは上辺丈ぢやないか。だから御前は形式張った女だといふんだ」
 「ぢや何うすれば本当に片付くんです」 
 「世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない。一遍起ったことは何時迄も続くのさ。ただ色々な形に変るから他にも自分にも解らなくなる丈の事さ」

 『道草』巻末の鉛筆書きの日付を見ると、読了したのは昭和32年6月22日とある。
 漱石には中学生の頃から熱を上げていたけれど、断簡書簡まで読み始めたのは、昭和31年に岩波の新書版全集が出始めてからだから、初めて『道草』を読んで、いかにも漱石らしい会話に遭遇して、忽ち痺れてしまったのだろう。

 この時の新書版全集は全三十五巻、一冊たった百五十円、学生の自分にも毎月楽に買えた。この頃喫茶店で珈琲一杯五十円、ラーメン四十円だったか。

 五十八年前に初めて読んだ小説のひとくさりを、まだ忘れていないというと嘘の様だけれど、嘘ではない。

 それが『道草』だったか、『彼岸過迄』だったか、『門』のような気もするという程度の記憶の混乱は生じて来てはいたけれど、人生の途上で遭遇するいろんな出来事の殆どは、いくら片付けたくても片付くものではないし、悪いことは重なるものだという経験則と一緒になって、何度も繰り返し思い出しては、自分で記憶に刷り込んで来たからであろう。

 天が下に新しきことが無く、片付かない事ばかりを持て余しながら七十年暮らしてきて、どうして滅茶苦茶にならないで済んで来たのか不思議ではあるが、案外人生こんなものと、達観した風を装って来ることが出来たのも、優れた小説から早々に知恵を貰ったからかもしれない。

 漱石が、大正四年に朝日新聞に『道草』を連載したのは、弱冠四十八歳の時である。耄碌寸前の、現在の自分の齢を顧みれば、まことに忸怩たるものがある。

 別の意味で忘れられない会話もある。

 『行人』の一節、予期しなかった嫂の突然の来訪に、

 「夜だから好く見えるんです。昼間来て御覧なさい。随分汚ならしい室ですよ」

と、義理の弟、二郎が応対する。

 何の変哲もないこの一句を、六十年経った今でも忘れないのは、自分がその年に受けた筈の大学の、和文英訳の問題だったからである。

 結局は受けなかったその大学の入試問題の解説を、後日、新聞で偶然眼にすることがあって、もしも予定通り受けていたら、試験場でこの文章に遭遇して、「やったあ」と独りで小躍りしたかもしれなかったと思ったのである。

 勿論出典を知っていたからといって、英訳が上手く行く筈もないし、試験そのものは既に終わっている。

 ただ、試験場で、思いがけず既知の漱石を発見した時に、この会話の出典が『行人』の嫂と二郎の下宿での話だと知っているのは、多分出題者と自分の二人だけで、それだけでもう合格する予感が生じて、それで、「やったあ」となったのだと思う。

 そんなことで合否が決まる理屈はないけれど、受験勉強の最中にも、漱石を読むというのが唯一の楽しみで、その余裕を密かな誇りにしていたから、ここは理屈抜きの「やったあ」であった。

 ただ、この平凡な会話が記憶に残っていたのには、もう一つ大きな理由がある。

 漱石が、ここでわざわざ無関係な会話を挿入したのは、嫂と二郎の間に、一種の緊張した心理状況が予め存在していて、それでも、いやそれだからこそ、ありきたりの会話ひとつで、二人の人間の立ち位置があぶり出される効果を狙った、「無意味な」会話だということに、気が付いていたからでもある。

 確かに、人はこんな時、こんなことをいうものだ。

 また確かに、人はこんな時、こんなことをするものだと、漱石から学んだことは多い。

(迪:2014-12-30)

 
インフルエンザ予防
2014.11.8
毎年冬になると流行するインフルエンザ。せき、鼻水、のどの痛みだけでなく、全身の倦怠感や関節の痛みが出たり、症状が急激に悪化して風邪よりも高い熱が出ます。

うがい、手洗いをしっかり行い、部屋の湿度を保つなどの工夫をして、十分な休養とバランスのとれた栄養摂取を日頃からこころがけましょう。

とくに高齢者にとって、肺炎や脳症へつながる重症化を防止するために、予防接種は有効です。ワクチン接種の効果が出現するまでに2週間程度かかりますので、毎年12月中旬ごろまでに接種を受けるのが望ましいでしょう。

田中医院でもインフルエンザ予防接種を行なっています。13歳以上のかた 1回2,800円(2回接種希望のかたは2回で4,000円)、12歳以下は2回接種4,000円。なお、65歳以上の鎌倉市民は1,600円です。今季の予約は2015年1月31日まで。

 
守られますように
2014.10.8
 
夏は花火
2014.8.1
 
スズメのお宿 続
2014.7.5
田中医院に福の神到来と騒がれた(誰も騒いでないか)スズメの巣造りの、その後ですが、発見からちょうど一か月経ちました。

いつの間にか雛が孵ったらしく、親が何かを咥えて帰って来た時には小さな鳴き声が聞こえる・・・と、看護師のタカハシさんが教えてくれるのですが、このところ耳の遠くなった院長には、はっきりとは聞き取れません。

親の気配が無い時には、雛の声もまったくしないようです。

雛だからといって、やたらに啼き騒ぐものではないのですね。

やたら騒いで自分の存在を外敵に教えてはならないことを、どうやって知っているのでしょうか、不思議ですね。

数は判りませんが、小さな命がここで育っているのは確かです。なんだか無性に嬉しくなります。

(迪:2014-07-05)

 
スズメのお宿
2014.6.5
田中医院の裏、通用門の軒下で、雀のつがいの巣作りが始まりました。

羽を広げても手のひらくらいしかない小さな鳥が、二羽代わる代わる何かを咥えて運んできます。

軒先のテントをビルの壁に固定している枠の蔭になって、はっきりとは見えませんが、緑の穂先のようなものが覗いているので、建築材料は草の茎のようです。

私達はこの地で25回初夏を迎えていますが、今まで雀が巣を作るのを見たことはありません。実は雀が何処でどう暮らしているのか、まったく知らないままに、近頃あんまり姿を見かけないなと思っています。

燕も雀も昔のように身近な鳥ではなくなった・・・ような気がするのですが、それには私達の暮らしのあり方の変化が、関係しているに違いないと思います。しかしそれをきちんと説明することは簡単ではないでしょう。

今まで利用しなかったビルの壁を巣作りの場所に選ぶというのには、何か理由があるのでしょうが、それが彼らにとって切羽詰まった窮余の一策などではないことを願うばかりです。

うまくゆけば、これから仔育てが始まるのでしょうが、どんな情景が見られるのか楽しみです。


撮影:S.Shinozaki

(迪:2014-06-05)

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黄金宮殿
2014.5.27

さてここはどこでしょう?

鏡のごとき静まった水面に映りこむのは、
燦然と黄金色に光り輝く宮殿か。

実は、勝島運河にある
S急便の配送センターの社屋。
西日を受けてキラキラしている瞬間でした。

江戸時代から始まった海苔の養殖の発祥地が、この東京都品川だったということを、地元の元漁師に教えてもらいました。

明治時代から埋め立てが始まったけれど、漁業権を放棄する東京五輪直前までは、彼らはここで海苔の養殖をやっていたそうです。

かの有名な「浅草海苔」、仕入れは品川からでした。

(サイト管理人:2014-05-27)

 
倶会一処
2014.5.1

一年が経ちました。「倶会一処」。
この日は院長のお誕生日でもありますね。
先に行った人たち、またあとでお会いしましょう。

(サイト管理人:2014-05-01)






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