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(かまくら便り「耄碌以前」)
(旧)

 
インフルエンザ迎撃戦
2009.12.3
11月は少し忙しくて「ぼやき」を更新しなければと思っているうちに終わってしまった。インフルエンザ(といっても新型ではなくて、例年やっている、いわゆる季節型の)ワクチンの入荷が遅れて、11月になってやっと予約してくれている人に注射出来るようになった。

ワクチンが少なくて、例年の三分の二くらいの人しか予約が受けられなかった。

新型に至っては何時、どれくらいの数が入手出来るのか今日の時点でもはっきりしていない。そのうちに大部分の人が感染して抗体が出来てしまって、予防注射の必要が無くなってしまうかもしれない。

中学校の先生の話、10月初めに学年閉鎖になったほどなのに、結局発熱したのは生徒ばかりで、職員は一人も発症しなかったとのこと。ひとクラス4人発症したら学級閉鎖で、それがふたクラスになったら学年閉鎖にするのだそうだが、普段は一クラスで3人が一度に熱を出して欠席することはないという。

してみれば、抗体を持たない子供には新型の伝染力は相当のものとしても、年配者の多くが「罹らない」のは、新型に対するのと似た抗体を既に持っているということだろう。

実は10月中旬、40度の発熱でA型陽性の小学生を連れて来られて診た翌日、かったるくて「やられた」と思ったことがある。

直ぐに飲んだ麻黄湯が良く効いて熱も出ず、元気に仕事は出来たけれど、3週間ばかり妙な咳が続いた。

看護師の高橋さんは腹に来たとかで、下痢になったがこれも直ぐに回復した。受付の半田さんは大きなマスクが効を奏してか、普段のおこないがよほどよかったのか、何事もなかったという。

田中医院の新型インフルエンザ迎撃戦(というほどのことはないけれど)は、もう終わった気がしている。

ともかく新型が毒性の強いやつでなくて幸いだった。(迪)


 
無知ほど怖いものはない
2009.12.3
民主党政府の行政刷新会議の「事業仕分け」が、なんとも新鮮で、よしよしその調子だと面白がっていたら、こっちに矛先が向けられて、漢方薬がやり玉に上がったのには参った。

あろうことか湿布薬、うがい薬と一緒にされて、「薬屋で市販されていて医師が処方する必要はない」とおっしゃる。

無知ほど怖いものはない。

東洋医学会会長の寺沢先生は、記者会見で反論し、「薬局で売られている漢方薬は同じ名前でも、安全性を考慮して有効成分の量が医療用の半分しかない」といわれたけれど、問題はそれだけでなく、専門家の側からすれば、化学製品である西洋薬に優るとも劣らない漢方薬の、薬としての鼎の軽重を問われているということである。

ここでは漢方薬は「薬」ではないといわれている。

専門家でない仕分け人の無知は仕方ないが、財政圧縮を錦の御旗にして議論なし、問答無用で押し切られては文化大革命の平成版になる。

「政治の良識」に期待すること大、まさか・・・・ねえ。

(迪)


 
新聞が面白い
2009.10.8
「鳩山内閣が発足してはやくも一カ月になる。
この一カ月、テレビに登場する各大臣の発言がすこぶる面白い。全員が適材適所なのかどうかは知らないが、どなたも自分の言葉
で、自党の政策を語っているように感じられて気持ちがいい。
自民党の末期、四つの内閣の大臣たちが総理以下あまりに酷い連中ばかりだったので、政治がらみのテレビニュースは見る気がしなかった。それがこのところ、機嫌良く見ていられる。

新聞がまた面白い。以前は第一面から読むなんてことはしなかった、というより詰らなくて出来なかったのに、近頃は第一面から順に政治経済面を読んで飽きない。そうなると新聞に時間を取られてしまって、他のことが出来なくなって困るという、これは昔からあった強迫観念がまたぶりかえして来そうである。ことに受験時代がそうだったが・・。

なあに、他のもっと大事なことなんてものはこの年になればありはしないのだけれど。それでも時間が勿体ないような気がして、スポーツ欄から社会面は見出しだけ眺めて新聞を畳んでしまうことになる。

* * *

6年後のオリンピックがヨーロッパでもアジアでもなくて南米で開かれることになって、むしろ良かったと思う。東京の150億円の運動資金が無駄になったのは勿体ないけれど、そして先年の北京の国威発揚の馬鹿騒ぎでないやり方があるというのを示せなかったのは残念だけれど、この辺で南半球でもというバランス感覚に従ったのが自然で良かったと思う。
国内的にも、なんでもかんでも東京・・は止めたほうがいい。

中国が航空母艦を建造するという、何たる愚行。
建造費もだが運用する費用も莫大かかるのに、国威発揚のためなら無用の長物も意に介さないという遅れた思想に絶望した。60年前の社会主義人民共和国樹立で中国だけでなく世界中の抑圧された人々の希望の星だった国が、変節もいいところ、二十世紀の帝国主義の亡霊と化してしまった。
北朝鮮、ビルマの独裁政権への対応、チベットの人民への容赦のない抑圧など失望させられることばかりで、いまさらという気はするのに、張り子の虎をなぜ欲しがるのか、正直、中国人はもっと悧巧だと思っていたのに。情けない。

* * *

8日12時半、台風18号は本州のど真ん中を北上中。でも鎌倉では雲が一斉に奔って、全天が南西から北東に移動し、澄んだ秋空が広がりつつあります(その後一時間で日本晴れになりました。)

4階のテラスハウスで迎える初めての本格的な台風なので、昨日からいささか緊張しましたが、物干し竿やら花の鉢やらを懸命に片付けたつれあいの奮闘の甲斐あって、我が家の被害は軽微。

ただ、夏から休みなく咲いてくれていたハイビスカスの真っ赤な花がすべて散ってしまいました。

先ほどから材木座海岸の上空あたりをヘリコプターがしきりに往来しています、何事かあったのでしょうか。(09-10-0813:45)(迪)


 
中秋の名月
2009.10.3


 
二百十日
2009.9.1
「二百十日」だからどうなんてことは誰も言わなくなった。

広辞苑をみると立春から数えて210日め、9月1日頃。
ちょうど中稲の開花期で、台風の襲来時期に当たるから、農家では厄日として警戒する・・とある。
「中稲」なんて言葉、意味が判らず、もう外国語に等しい。

今年も一日早かったけれどちゃんと台風はやってきて、ひとしきり降ったり吹いたりした。しかし、夕方五時にはぴたりと止んで西の空には夕焼けが綺麗だった。

防災(訓練)の日の主題は、いまや地震になってしまったが、それも今年は、衆議院選挙の自民党の歴史的大惨敗のニュースに押されて、印象が薄い。

自民惨敗で、このところの欲求不満が一挙に解消したけれど、今後のまつりごとで民主党よ、どうかヘマをしないでくれよ、せめて任期の4年はちゃんとやってくれよと、祈るような気持ちである。

民主党という名の第二自民党が生まれることになったら、これ以上の災厄は無い。(迪)


 
タイタニックの救命ボート
2009.9.1
新インフルエンザのワクチンが、10月には使えるようになるが、勿論、足らないそうだ。
だから、注射の優先順位が問題になる。

医療関係者が第一だそうだ。
病人を診る、あるいは看るヒト、施設が倒れたら話にならないという理屈は解る。でも、何だか落ち着かない。誰が順番を決めるのだ。

後期高齢者はどうせあとまわしでしょ、と、今日は二人の後期高齢者から訊かれた。
自分たちを穀潰し扱いしている偉いさんを信用してはいないから、どうせ後回しになるのはわかっているにしても、なんで役人がそれを決めるのだ。

第一、役人が決めた通りに、現場の医院では<人間>を選別出来ないよ。

沈みかけた難破船から、限られた数のボートにどういう順番で乗り移るのかを、自分が第一番に移っておいて、それからやおら指図するなんてことが誰に出来る。

まあ、救いは、ワクチンが無ければ生き残れない、という事態ではないということだ。

問題は、<皆が集まって一度に熱を出してひっくり返る>ということであって、散発的に時間をかけてなら、日本人の70%が罹患したってどうということもない。

後回しにされたって、たかが風邪だ。

立派なメタボと称揚された、かねて蓄えた脂を糧に、ちょっと引きこもっていればいずれ流行は終わる・・・・・と達観しようよ。(迪)


 
夏休み
2009.8.15
 今年の夏は曇り空が多く、すっきり晴れ上がって入道雲が湧き上がるという日が少なかったが、今日は朝から、あの日のような青空。
64年前の8月15日も日本中が高気圧に覆われて暑い日だった。私は国民学校三年生で、疎開先の岡山県上房郡豊野村でこの日を迎えた。吉備高原の強かった陽射しと青空を、忘れてはいない。

飛行船
 
11時40分頃書斎で、高校野球を聞きながらパソコンに向かっていると、なんだか眼の隅を動くものがある。見直すと、図書館の上あたりに飛行船が浮いている。

湘南の空に飛行機の影は珍しくもないが、飛行船とは珍しい。慌てて眼鏡を捜してよく見ようとしたが、ただ浮いているのではなくて、相当の速さで動いていると見えて、かみさんにあれだよと言う間に、稲村ケ崎のほうに見えなくなった。

13時30分頃、今度はかみさんが、材木座上空を西から東南、逗子の方向に帰って(?)行くのを見つけた。

後ろから見ると肥ったマグロが泳いでいるように見える。相模湾の海岸線に沿って、海水浴場を歴訪しているのかもしれない。

時空をずらせば・・・
 
今年の夏休み、最初に読んだ新刊は、
『すべては宇宙の采配』
木村秋則【著】/東邦出版)だった。
そんなこと出来るわけがないとコケにされ、迫害された無農薬、無肥料のりんご栽培を成功させた、りんご農家のオヤジさんの体験記。
これが滅法面白い。

私は農業はまるで知らないけれど、そんなことはまるで関係なし。
人間も植物の根っこのように、見えてない部分がとても大きい存在だということを、ふつうのことばでユーモラスに語りながら、時間(と空間)の流れ方にいろいろあることを理解することがポイントだといっているようだ。
時間はひとつではないらしい。

私はこの本に特別寄稿している茂木健一郎というひとの肩書がいつも脳科学者なので、いささか胡散臭い人だと思っていた。

しかし今回は、脳科学者という人の推薦がなければ、リンゴ栽培の本などに手を伸ばしはしなかった。
すごくまっとうなだけに、「常識」から外れたところのあるこの本を、きちんと評価した「科学者」の茂木氏の知性を、逆だけれど、私はほんものと見る。
既成の「科学」で説明できないことはあってはならないという、タレント教授のエセ知性にはもううんざりである。

この本あんまり面白いので、まずかみさんに勧めたら、はたして、今朝飛行船に中断されたけれど、三時間ばかりで一息に読んでしまった。

かみさんは、自分の体の中のどこかに残っているかもしれないガンに、
「いい加減にしなさい、あんまりのさばると主人公の私と一緒にダウンしてしまうんだよ」と、以前から語りかけているのだそうだ。
おかげでとりあえず、元気、元気で、「自分と一緒の考えの人がいた」と悦に入っている。あの飛行船がUFOだと、話が出来過ぎだろうなあ。

私は木村秋則さんの見たという「後の無いカレンダー」の最後の日付けが、いつなのか、知りたい。

しかしまた、仮にそれが地球の、あるいは現世の最後の日だとしても、ちょっと時空をずらせば、またべつの在り方で、「いのち」は立ち上がって行くのだという気がしていて、気分は明るい。
木村さんが歯の無い口を大きく開けて呵々大笑している写真を見ると、そんな気がして仕方がない。(迪)


 
鎌倉フルートアンサンブル
2009.8.6

 高校生の頃だったか、ビゼーの「アルルの女」を聴いてすっかり気に入り、それまで、吹いたことはおろか、手にとって見たことも無かったのに、"ヨーシ、これだ、あれを吹けるようになりたい、稼げるようになったらまずフルートを買うぞ”と決めた。

 初めは、賑やかで、ちょっと俗っぽい「ファランドール」に馴染んでいたのが、そのうち生意気になって、ちょっと飽きてきたころ、同じ組曲中の「メヌエット」に聴き及んで、ハープの伴奏に乗った、フルートの澄んだ音色の美しさに仰天したのだと思う。

 ちょうど、それまでのSPに比べて、雑音の格段に少ないLPレコードの時代が始まったころ、五十年も前、実に石器時代の話である。もちろん、一杯五十円の名曲喫茶に出入りするのは大学生になってからだった。

 そのころはもちろんのこと、ほぼ十年後、いよいよ二万五千円ほどの安物(たぶん、ブラスバンド用のずっしり重い量産品)を買って、教則本を頼りに吹き始めたときも、運指表の示すとおりに穴を塞いだり開けたりすれば、正しい音が出るものと思い込んでいた。

 実際に音が出るようになるまでに、相当苦労したはずだけれど、初めにどんな風に練習したのか、実は、あまり覚えていない。

 後年、内田秀夫先生について習うようになってから随分直されたけれど、最低音部では、咽喉が鳴って楽器と一緒に歌う・・・、というより唸る癖は、いまだに抜けないし、高音の難しいフレーズになると、ともすれば、口もとを締めて、音を搾り出そうとする。

 腹筋を上手に使う訓練が、まるで出来ていなかった。というよりも、そんなことは、ちっとも知らなかったのである。音楽教室がどこにでもある、という時代ではなかったから、仕方がない。

 やがて、2オクターブ半ぐらい、なんとか音を並べられるようになりはしたが、とても音楽にはならないことがわかったのと、折から本業の修業のほうも忙しい年代でもあったりで、結局挫折してしまった。

 でも、いつかは「メヌエット」が吹けるようになりたいという、ひそやかな野望は持ち続けていた。

 埃だらけの楽器をまた持ち出したきっかけは、鎌倉中央公民館の「フルート教室開講のお知らせ」だった。 

続きは → 随筆集「遠ざかる日々」No.40をどうぞ

鎌倉フルートアンサンブル 
http://www.kamaflute.jp


遠ざかる日々
好評のエッセイ集が、インターネットで読めるようになりました。どうぞお楽しみください。こちら

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